書道個展開催

 

母のプロフィールは、プロフィールのコーナーを御覧頂ければ、お分かりになられると思いますが、彼女は書家です。2002年の11月に深センの関山月美術館で書展を開きました。何分にも外人が個人でこの美術館で個展を開くのは前例が無く、色々大変でしたが、何とか皆さんの温かいお力をお借りして、無事成功させる事が出来ました。母の宝物の思い出をこの場をお借りしてご紹介させて頂きます。By美佳りん♪

 

 

 

深センで書展開催の思い出♪

書展を開くにあたって(200110月)

 

私は今年11月1日〜7日(4日は休館日)まで、中国深センの関山月美術館で書展を開く。「個人でこのような個展をする人は初めてだ」と訝っていた美術館側の人も、今では大変好意を持って協力して下さっている。

 

 私は、19☆☆年10月26日に中国の長春(旧満州国・新京)で誕生した。父は東京大学法学部在学中に母と結婚して、卒業後、1940年4月に満州電電(株)放送部に入社し、新京本社勤務となった。私が誕生してまもなく日本は敗戦、その後、父は日本人会長春日僑善後連絡署で在留日本人の生命、財産を保護する仕事の総務課長として激務に当たっていた。

 

  私ども家族(父、母、姉、私)は1946年秋の最後の引き揚げ船で帰国した。その時は一人千円と生活必需品を背負って、年の大きい者から順に並ばされて銃を構えた憲兵の監視の下に日がな歩かされて、日が落ちて検問所に着くと頭から真っ白いDDTをふりかけられて仮眠という日々。汗と泥にまみれて、まさに捕虜の身であった。コロ島という所から佐世保まで大きな貨物船で引き揚げてきた。

 

 当時、幼かった私には両親の苦労を知るよしもなかったが、どこまでも続く炎天下の石コロだらけの道を黙々と歩いた記憶がある。反面、春の満州大平野には一面にたんぽぽの花が咲いて、それは美しかった記憶もある。

 

今年の年賀状に私は「人との触れ合いを大切に生きたい」と書いた。人生の節目の年に、何か意義のあることをしたいと思った。9月29日は日中国交正常化の調印をして30周年を迎えた。私の書歴も、丁度30年になった。娘の勧めもあって第二の故郷である中国で書展を開くことにした。

 

 娘(美佳)は私の影響もあってか、日本の大学を卒業すると上海外国語大学、北京大学に留学して、一時帰国した時に、NHKのドラマ「大地の子」の制作スタッフとして加わり、その後再び北京電影学院(北京映画学院)に留学した。中国語は堪能で通訳、翻訳を仕事としている。現在は結婚して、深センに駐在している。

 

娘が独身時代に田辺琢磨氏と芸術を通して日中友好を計りたいと意気投合、私も加わって日中交流劇団(団長は田辺氏)を結成した。日本で2回公演した。田辺氏は今回私の書展の日本側の主催として来て下さる。

 

今回、書という媒体を通して中国の方達と交流を図りたいと考えている。かつて日本は軍国主義の名のもとに中国を侵略して多くの罪のない中国人民を傷つけた。この地球上の人間同士として助け合い、愛し合えたらと思う。

世界平和の第一歩、日中友好の第一歩は、何の肩書きでもない、人間と人間とのつながりである。

 

私は今回の書展でできるだけ多くの人々、中国の人々と触れ合いたいと思う。拙い中国語(5年間、日本の中国語教室で学んだ)で語り合いたいと思う。

娘の留学中に、二人で中国の書道に縁のある地を旅行した。

 

乾陵博物館、西安碑林、秦の始皇帝陵、兵馬よう博物館、華清池、洛陽博物館、龍門石窟、故宮博物館、万里の長城、上海博物館、蘇州四園、虎丘、寒山寺、蘭亭曲水址、大禹廟、雲隠寺、岳王廟、西冷印社、爨宝子碑、爨龍顔碑、等である。

 

  中国とは生ある限り関わって日中友好の為に微力を尽したい。

 

以上。

 

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